∞空想旅団∞回顧録~還らぬ翼たち~Volume3
1995年の初夏6月
梅雨のあけた晴天の日
当時22歳の自分は 職場のオブザーバーで
あった67歳の”元特攻隊員”の話を聞いていた。
昭和19年6月の「マリアナ沖海戦」の話をしていた。
米艦隊を攻撃する 攻撃機隊、雷撃機隊を護衛しながら
おじい様の零戦は海面すれすれを飛んでいた。
難しい超低空飛行の操縦桿を握るのは当時16歳の
若者だ。
米艦隊ミユの隊長機の合図と供に
攻撃隊は高高度へ上昇、
第1次攻撃が開始されたが 同時に米側の対空砲火も
始まった。
攻撃隊の戦果は芳しくなく おじい様の機も 米側のVT弾を
至近から受けた。
幸い、燃料タンクをやられて ガソリンは洩っていたが
フィリピンまでは飛べそうだ。
同じく傷を負って戦闘不能となった同僚機と供に
戦闘海域を離脱。
フィリピン群島のとある島
海岸の砂浜へ何とか不時着できたと言う。
ここまで話して、丁度 午後3時頃であったろう
車を停めて 休憩したんですが
おじい様は こう話を切り出した。
「君にどうしても話したいことがあるが、聞いてくれるか」
私は何も考えずうなずいた。
おじい様はしばらく 間をあけて
こう切り出した。
「私は、人殺しなんだよ」
「不時着した後、少し離れた海上に降りた同僚機から
誰も降りてこないので駆け寄った」
「中にはパイロットがいて、供に訓練を受けた戦友だった」
「VT散弾でコクピットのガラスが破壊され 彼は負傷して
動けなかったんだ」
「私は、何とか彼を機外へ出すことが出来て 砂浜の木陰へ寝かせた」
「彼は 私にこう言った」
「自分は もう 助からない、殺してくれ」
腹部へ目をやると
炸裂弾の破片は彼の腹を大きく裂いて
腸がズルズル飛び出ていた。
おじい様も(当時16歳)
”こうなったら助からない”と教わっていたそうだ。
「たのむ!!殺してくれ!!」
おじい様は、
断末魔の苦しみを味わっている彼に向け
短銃を2発打って 頭を吹っ飛ばした。
その後
台湾沖航空戦へ参加させられ
最期の任務が
昭和20年4月
沖縄本島北谷海岸へ上陸しつつある
米艦隊へ体当たり攻撃(神風特攻隊)だったそうだ。
運良く生き残り、
沖縄の米軍収容所(石川)にて終戦をむかえる。
そのまま、おじい様は沖縄県民となって結婚
一家を育み 終戦から50年経った 晴天のこの日
誰1人、奥様、家族にさえ言わなかった
この話を 私に話す気になったのだと言う。
おじい様は言った
「あの日 戦友を撃ち殺した景色を
何十年経っても 夢に見るんだ」
「其のたびに、私はあやまり続けるしかなかった
許してくれ~!!・・と・・・」
「私は戦争犯罪人も同然、戦後 償いの気持ちで
国を良くしよう、仕事をがんばろう、出来ることは
何でも頑張ろう、そう思ったよ。自分が殺した
彼の分まで。」
おじい様が 才識豊かで、65歳を過ぎても
衰えを感じない覇気・人一倍 笑顔が素敵な
理由がわかった。
「潤君、本当にありがとう!!」
「君に話せて良かった。本当に、誰にも言ってなかった」
「ありがとう!! もう、今日からグッスリ眠れそうだ♪」
最高の笑顔でした。
工場へ戻り、
自分は工場業務へ戻り
おじい様は もう1台だけ ディーラーへ車を運ぶという。
「もう1度一緒に行くかね?笑」
「いいえ笑 工場の仕事もやっておかないと」
私は、この日 想像以上の話を聞いて
胸がいっぱいだったのと また日をおいてご一緒
した時のため
”次はこれからのことを聞いてみよう”と思った。
おじい様はいつもよりご機嫌で
その日最後の1台に乗って工場を出た。
この話を私が思い出したのは
昨夜自分が夜中 「夢」で起こされ
「夢」というワードから
突然18年前のおじい様の「悪夢」の話を
思い出したからです。
この、偶然重なった43歳差の人生の時間。
仕事中のほんの4・5時間でありました。
土曜日でした。
翌日曜日は休みでしたが、
突然 おじい様の家へ呼び出された。
昨日、別れ際 あんなに元気に笑って別れた
おじい様は死んでいた。
勿論、初めて行ったその家は
既にご家族・奥様方の親族
会社の同僚・先輩方も集まっていたが
初老の女性の方が自分の前へ進み出て話をしだした。
奥様のようだ。
「あなたが潤君ね、昨夜
うちの人が ここ何年も見たことない位
嬉しそうな顔で帰って来てね。」
「あなたの話を、ご飯も食べずにずっと
話してね、”めずらしい若者に会った”と
言ってね・・・」
「そのまま、話すだけ話して 今日はつかれたなぁ♪」
って眠ったまま。起きてこなかった。
病院での検死でも、原因は解らず
老衰という診断だったそうだ。
ほんとうに、うっすら笑みを浮かべたような
寝ているようだったという。
自分は、奥様・ご子息達を前にして
昨日聞いた話をしようかすまいか迷ったが
話して聞かせるべきだと思い
奥様とご長男だけには話した。
「悪夢」の話
最期に私へ満面の笑みではなった
「話せて良かった」
という言葉を。
天よありがとう・・・
おじい様の67年の人生の中の5時間と
自分の、現在も継続中の
39年の人生の中の5時間を
めぐり合わせてくれて。
船好きを改めることは出来ないが
”太平洋戦争”に関わることに興味を持つことは
あの日から無くなった。
~∞空想旅団∞~
海へ飛び立って 還らぬ翼となった若者たちへ捧ぐ
Enya - Caribbean Blue
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